1642年12月25日生まれのニュートンが色彩文化にどのような影響があったのかをまとめます。1665年(当時23才)〜1666年の1年半で、微分積分・万有引力・光学の3つの基礎を発見しました。この1年半を「驚異の年(アヌス・ミラビリス)」と呼ばれています。この3つの中で色彩文化では「光学」との関係が深いので書き記します。1666年ニュートンはプリズム(三角柱の透明のガラスでできた分光器)を暗室に置き、このプリズムに太陽光があたるように、暗室の壁に細い孔(ほそいあな=スリット)を開けました。細い孔から導かれた太陽光がプリズムにあたり分光しました。そして、赤・橙・黄・緑・青・藍・青紫の7色に分光することに成功しました。この7色の光の帯を「スペクトル」といいます。実際にはグラデーションになっているスペクトル(光の帯)を7色としたのは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの音階と直観で結びつけた為といわれています。

21世紀の現代では当たり前のことであっても「色とは何か?」という不思議は17世紀初めの考え方では、紀元前4世紀のアリストテレスの「光と闇」の考え方であって、すべての色は「光(白)と闇(黒)」の狭間に存在するという考え方でした。その考えは1666年にニュートンがプリズム(分光器)によってスペクトル(光の帯)を発見する2000年間の考え方(色の認識)でした。21世紀の現在ではR・G・B(赤・緑・青)の加法混色、C・M・Y(シアン・マゼンタ・イエロー)の減法混色のように「3原色」の考えですが、紀元前4世紀はアリストテレスの白・黒(光と闇)の2原色であり、17世紀後半はニュートンのスペクトル(光の帯)7原色でした。

いつの時代でも発明家はスゴイと思うことがあります。例えばトーマス・エジソンは「電球」を発明しました。一説によればエジソンは電球を発明する為に電球の研究をしたのではなく、夜になっても、暗い部屋の中でも「光」があれば研究ができるから、電球を創ったといわれています。ニュートンも同じで、太陽光を分光して7色を発見したというより、ニュートンの研究は「宇宙論」という天文学の研究の中で太陽とは何かという研究の中で、スペクトルを発見したのです。いずれにしても、「色とは何か?」という証拠や説明が理論付くのは、ニュートンが1666年に「スペクトル(7色)」を発見し、1704年に「光学」を発表したことで、現在までの色の常識の基礎、色の正体を発見した人物といえます。