明治〜大正時代にかけて、東京の新橋の芸者がこの色の着物を愛用して流行となり色名となった。化学染料で染めた鮮やかな「青緑」は当時の人には憧れとともに眩しく目に映ったにちがいない。また、芸者の置屋(控えている場所)が金春新道(こんぱるしんどう)にあったことから、新橋色は「金春色(こんぱるいろ)」ともいう。