1749〜1832年 ドイツの詩人、作家、自然科学者、政治家であった。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテという。色彩文化論としてのゲーテといえば、1810年初版の「色彩論」である。特に日本で脚光を浴びているのはニュートンであり、多少美化されたとしても、それもまた美しい。日本でゲーテという人物はニュートンほどの偉大な人物としての人気はないが、ヨーロッパ圏内ではゲーテの人気は上位にくるようである。色彩文化論としてのゲーテは、ニュートンの「光学」をひどく批判し、ゲーテは生命の源である太陽光をプリズム(分光器)で証明することこそ暴挙であり、光だけではなく「闇」もまた実体であると主張した。ニュートンではなかった「闇」について説明していることがポイントです。これは紀元前4世紀のアリストテレスの「光と闇」(色は白と黒の境界に現れる)という考えをニュートンの7色スペクトルから、再びゲーテが戻すような考えであったことなのです。ニュートンは太陽光を分光して、さらに集光して太陽光(白色光)に戻すという「決定的実験(証明付き実験)」をして、現在でも色の通説はニュートン「光学」からきていますが、ゲーテの影響は何といっても、「補色残像」を追求し、補色という考えの中で、色彩環(当時は色相環ではなく、色彩環という)を完成させたことです。それと、ゲーテの精神を受け継いだ著名な人物を数多く輩出したことで、反対色説のヘリング、自然界の輝度のベゾルトとブリュッケ、3原色説のヘルムホルツ、そして、20世紀ドイツのオストワルトまで受け継がれることになることこそが、色彩文化の功績であるにちがいない。色彩文化を知るには、ニュートンと同じゲーテを知らないと色彩文化を知ることはできない重要人物といえます。